世界中のどこに行っても

世界中のどこに行っても自分の気持ちからは逃れられない

大好きなドラマ、福屋堂本舗で檜山のお母さんが言ってた言葉

 

本当にそうだなとつくづく感じた

彼氏ができたら幸せ、試験に受かったら幸せ、家族がいたら幸せ、お金が沢山あったら幸せ。

これをずっとずっと求めていた。

 

やらなければならないと思っていたことを捨てて、1人きりで何も持たずに旅に出たけれど、気持ちだけは置いてこれず、結局、毎日考えていることは常に頭をよぎっていた。ということは、望む条件が整わない今、幸せになるには、自分が今を幸せだと決めるしかないのだってことにようやく気付いた。身体レベルで感じることができた。

そして、自分がやらなければならないと思っていたことは、私にとって大事なことではないということも気づいた。

私が、もうすでに幸せだと言うのならば、それでも私が欲しいものこそが、私が本当に欲しているものなんだ。

そしてそれが何かってことが少しずつ見えてきた。やりたいこと、欲しいもの、幸せな自分が、既に満たされている自分がときめきを感じるものって何だろう。これを考えていると、家の中にあった大量の服や本、自分がときめきを感じていないモノが沢山あることに気づいて、捨ててしまうことにした。選ぶものがちょっと変わってきたような気もする。

 

少し怖い。手放したものは、世間的に良いと、人から頑張ってねと、そう託されてきたものだから。それを私が要らないと言い、頑張りません、と言ったとき、皆はどう反応するのかな。嫌われるのかな、馬鹿にされるのかな。きっとそういう人もいるでしょう。それでもきっと私を好きでいてくれる人もいるし、嫌われた分、好きになってくれる人もいるんだと思う。何より、私がそれで心が満たされるのならば十分だ。

自分の子供には好きに生きてもらおう、そういう子育てをしたいとうっすらと考えていたけれど、自分が好きに生きることを恐怖に感じているのなら、子供が好きに生きることを許すことはできないでしょう。

私は、私で、自由に生きていいんだ。私がオッケーだから。私がもう既に価値のある素晴らしい人間なんだから、ね。

生きるって案外悪くないじゃん。私は欲しいものを手に入れ、なりたい人間になっていく、それは今までもこれからも同じ。欲しいもの、なりたい人間像が、こんなに自由に選べるんだ。ここまで生きてこれた、この環境にこれた自分って、超絶ラッキーだねえ。