自己表現

最近出会った、今の私のバイブルとなる本によると、自分の欲求を抑えていると退屈になるらしい。退屈から逃れるためには、他人の作ったエンタメを消費するんではなく、自分の感情を発散できることをしなさいと。つまり自己表現をしろ、と。

本当にその通りだなぁと思って、エンタメを消費することもちろんエンタメじゃなくて、古典的な芸術に触れたり、一流のものや自分が好きなものを観賞することは私達の感情を豊かにすると思う。
人によってはそれによってすっきりしたり、悩みが無くなったり、嬉しくなったりするでしょう。
ただ私は、いつも何をしても、その時は楽しくても何だかもやもやが抜けなくて。その理由が、このバイブルに書いてあることなんではないかと思った。私は、何らかの欲求や感情を、消費する何かを通して発散させているつもりだった。でも実際はただのつもりで、自分で表現しない限り、私の身体に感情の本体は残りっぱなしだった。私は自分で自分を表現していかなきゃ、ってことにようやく気づいた。

それで次に気づいたことは、自己表現、って例えばステージにたつことや絵を描いたりすることだけじゃないってことに。特に私が思ったのは、スポーツをすることは自己表現なんじゃないかな、ということ。どんなスポーツでも、使うのは感情と身体。感情を身体の動きに反映させてるということは、スポーツも自己表現の一種だろうと。何なら歩くことや階段を登ること、それさえも自己表現だと思った。それに、勉強も自己表現だと思う。受験勉強というよりは興味に沿った勉強が。知りたい、という欲望をざっくり体系化させたものが勉強だもんね。

だから私は最近2つのスポーツを始め、中学校歴史のワークを始め、塗り絵を始め、仏像なぞりがきを始め、折り紙を始め、お菓子作りを始め、日記を書き始めた。あ、いくつかは本を読む前から始めてたな。
強制されるものや、社会的に良いと思われるものではなくて、自分がフッと興味を持ったものをとりあえず始めてみる。
そこから何かヒットするものを見つけてみる。

私はなにがやりたいんだろう

この事を考えていると、ケータイでどうでも良いまとめサイトを見たり、ツイッターやブログを読む時間が減った。
良い変化だと思っている。

今日も私は、自分が何をやりたいのか考えながら眠る。人生はあっという間かもしれないな。